例えばこの声が

不定期で書きたい事だけ書きます。文才は皆無。

一年前、足を洗った元ヲタクです。

 

今からちょうど一年前、

2020年6月19日 午後6時30分。

 

決して忘れることはありません。

 

私はこの日、10年続けたヲタクから足を洗いました。

 

 

 

よっぽどの何かが起こらなければ、一生続ける気でいた「ヲタク」というアイデンティティ

一生手越担でいることが私の夢でした。

 

しかし、一年前のこの日に私にとっての"よっぽどの何か"は起こってしまいました。

夢は敗れました。

 

 

 

 

一週間後に、私はここでブログを書いています。

多少気持ちが落ち着いてきた頃だけれども(だから書けたんだけれども)、今改めて読み返したらあまりにもセキララでした。

 

手越祐也ファンでなく、手越担でいたかっただけの話 - 例えばこの声が

 

ただ、読み返すうちに段々と、あの日あの時のセキララな気持ちにすぐに戻れてしまうから不思議。

 

そりゃ少しは懐古的な感覚で、俯瞰できるだけの月日は経ちました。

でもやっぱり、辛くて、悲しくて。

憤りすら感じるこの気持ちは、きっと永遠に熱を宿したまま思い出すことができるのだと思います。

 

それだけ長い時間を、激しい情熱を、人生そのものを、彼に注いできました。

 

 

 

 

その昨年のブログに、私はこんなことを綴っています。

 

 

約10年間、手越担として生きてきました。

人生の半分近くを手越担として過ごしてきたのです。

私にとっての昨日までの私は「手越担の私」です。

今までずっとずっと、私の人生の中にはNEWS手越祐也がいました。

 

私は一人じゃない、なぜなら過去の私がいるから。

 

でも、その過去の私は、あくまでも「手越担の私」なんです。

 

 

NEWSの代表曲である「UR not alone」の大サビの歌詞を引用しながら、抱えてしまった不安を吐露しました。

 

 

当時の私は不安だったのです。

 

 

今まで紆余曲折、酸いも甘いも経験した青春時代の全ては「手越担の私」が過ごしてきたものだから。

人生の様々な出来事を「手越担の私」としてでしか経験していないから、私の大切なアイデンティティを失って、どう生きていけばいいのか本当に分からなかった。

 

不安だった。

 

 

結果としては、一年後の私は元気に生きています。

 

そりゃそうだと言ってしまえばそうなのだけれど。

「手越担の私」から、ただの「私」になって、この一年間手探りで生きてきた。

学生の肩書きが社会人に変わったこともあって、余計に戸惑うこともあるけれど、私はただの「私」として何とか生きています。

 

 

 

いまだにね、ブログなど読まずとも一連の出来事を思い出しては、感傷的に物思いに耽ることはあります。

 

正直、定期的にプチ事件は勃発していて目に入るし、その都度悲しくて辛くて嫌な気持ちになるし。

 

マシになったといえど、やっぱり長いこと共にして、自分の人生そのものみたいな存在だったから、完全に「無かったこと」にはできない。

 

これまでの人生からはもちろん、今後の人生からも完全に消し去ることはできないと、何か起こるたびに痛感しています。

 

 

 

例えば、先日のSTORYライブツアーなんて顕著です。

 

私はチケットが当たらなかったので、最終日の生配信しか見ていませんが、別の意味で、手越祐也さんが居たライブよりも、心動かされた気がします。

あの瞬間に考え感じたことを事細かに記録したいけれども、言葉にできずに涙となって流れ出ました。

 

ああこれがSTORYなんだ。

NEWSのSTORYなんだ。

 

ずっと頭でどうにか現実を理解させようとして、できなくて、苦しかった。

でも STORYを見たことで、やっと心で納得することができたように感じます。

 

あの時は久々に「手越担の私」が戻ってきていたなぁ。

 

貴方がしようとしなかったこと。

代わりにと言うのは違うけれど、私は逃げずにしかと受け止めて、真っ直ぐにこの目で見届けましたよ。

 

彼に伝えたいです。

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、一年前の私は「今後の進路は決まっていない」としています。

 

手越祐也に着いて行くか行かないか。

結局、現在とてもじゃないけれど「手越祐也ファン」と名乗れるような立場にはいません。

特に名乗りたいとも思いません。

 

 

だからこそ、自らを「手越祐也ファンである」と名乗っている人のことは、手越祐也さんが責任を持って幸せにしてあげて欲しいです。

まず何より、それが貴方の仕事です。責任です。

ファンを幸せにすることで給料貰ってるんだから、しっかり全うしてください。

 

清く正しく、思いやりを持って、誠実であってください。

 

私も社会人になったので、尚更そこを強く望んでなりません。

 

 

 

 

 

さて、かくいう私は、ひとまず一般人のただの私として、これからの人生を歩んでいきます。

10年間の手越担の私が紡いだ日々を過去のものとして、その長く充実した期間に負けないくらい充実した道を10年20年と、この先も歩み続けます。

 

 

不可抗力こそどうにもならないけれど、自分の力で成し遂げられる範疇は、最大限の幸せを掴めればそれで良いのだと思います。

 

 

但し、どうか誠実さと思いやりを忘れないで。

 

 

忘れないでいられるのならば、

私も、みんなも、NEWSも、

そして手越祐也も、

幸せであれ、と心から願っています。

 

 

 

何度

夢に敗れ  夢にはぐれ

ここまで来ただろう

生きていく

一度きりの 物語を

他人に言えないこと 言わないこと

胸にあるだろう

生きていく

すべて抱え

進んで行く

自分(きみ)のSTORY

 

それがSTORY

 

本当に伝えたい人には届かない話~NEWSの特攻隊長~

 

全NEWSファンと手越祐也ファンに読んでほしいなと超絶おこがましいことを考えているけれど、きっとそれは叶わないんだろうな。

どうしたらできるだけ簡潔に分かりやすく伝わるかなと考えているけど、気持ちが大きすぎて難しいな。

 

 

ひとまず今私は、

 

本人以外真意はわからないんだから無駄に憶測するのはやめようよ!!!!!

 

立場を置き換えてみようよ!!!逆の立場で前にもこんなことあったよ!!!!!

 

みんな仲良くしろとは言わないから落ち着こうよ!!!!!

 

 

と叫びたいという話。

 

 

 

私は自分の意見を言いたいタイプの人間で、常に私なりの考えは持っているつもりです。でも最近、自分とは異なる他人の意見もそれはそれで納得してしまうなと感じることがありました。

 

それは現在も熱心に手越さんのファンを続けている方の、手越さんが出したファンブック「AVALANCHE」の感想ブログでした。

私はそういう読み方をしていなかったけど、なるほど退所後もファンを続けている人ってそういう目線を持っているんだと納得できたし、確かにそう考えれば良い本で応援したいと思えるんだなと感じたのです。

 

これをきっかけに、私は少しずつ視野を広くすることができたんだけど、そういう考えのバリエーションって誰しも持っているわけではないのだなと、昨今のさまざまな騒動を見ていて思います。

自分のことを寛容な人間だと言うつもりはないけど、あまりにも都合のいい方に捉えすぎてどんどん状況を悪化させていく人が目立っていて悲しい。

 

私は現在、NEWS寄りとはいえ、どっちつかずの立場で眺めていますが、

はっきり言うと、NEWSファン、特に増田担と、手越祐也ファン、KITTEN、ガチこねが対立しているような現象が辛くてたまりません。

 

(さらにそれを悪化させるレンタルの人とか出てきてほんま余計なことしてくれたなって感じ小声)

 

 

個人的には、ブログのタイトルにも入れた「NEWSの特攻隊長」がとてもキーポイントになってくると思います。

 

手越祐也さんは、NEWSに所属していた時に、よく「NEWSの先頭を走っていく」「特攻隊長」などと称されていました。

武器も持たずに強気で先陣を切っていくから、思わぬ被害にあったり一人突っ走っていると思われることも多い。

 

手越君ってそういう役回りでしたよね?手越担の皆さん。(この上の二文は手越ファンの方が仰っていたことほとんどそのままです)

 

 

  • 「蜘蛛一回触るなら六回週刊誌撮られた方が良い」

イッテQで放った”不適切な発言④”はあまりにも有名ですね。週刊誌で傷ついてる人からしたらそんなこと言わないでよ…と思われてしまうけれど、バラエティー番組としては笑いをとれる発言。きっと手越さんは、番組を面白くする方を優先して発言したのでしょう。

 

  • 「やる気のない人を無理にとどめても…(略)」

山下さんと錦戸さん脱退時の手越さんのコメントです。一部からはそんな言い方しなくても…と思われてしまうけど、実際にNEWSとしてやる気のある人からしたらきっと率直な心境なのでしょうし、これから困難に立ち向かって頑張っていくぞという意思表示でしょう。

 

 

これらはいわゆる「手越祐也だから許される発言」に分類されるかと思います。そして手越ファンは、彼のそういう姿が好きだと思います。

 

強気で素直な手越祐也

バラエティー番組で全力投球な手越祐也

NEWSを引っ張る特攻隊長の手越祐也

 

しかし、手越さんがNEWSを辞めた今、その特攻隊長のポジションは空席になってしまったのです。

 

私は、その席に、一時的かもしれませんが、増田さんが座っているように思えてならないのです。

 

特攻隊長は時折誤解を生みます。

そのままの流れで発言したあまり、言葉足らずになってしまうことがあります。言動の一部分を切り取られ意図を捻じ曲げられ、叩かれることもあります。そしてそれを訂正しようにもできなかったり、ファン以外に届かなかったりします。

 

これ全部、手越担が味わってきた苦しみではないでしょうか。

 

 

 

先日のダウンタウンDXでの増田さんのボランティア活動への発言について。

手越ファンからしたら腹が立つ発言でしょう。私も言葉足らずだったと思います。でもきっと増田さんは、その場の流れを汲んで、番組を面白くする目的で発言したのでしょう。

 

NEWSとして思うように活動できない中で、今一番メディア露出が多いのが増田さんです。増田さんが良くも悪くもバラエティへたっぴなこと、コメントがへっぽこなことは今に始まったことじゃありません。一度NEWSを通ったオタクなら誰でも知っています。

あれはそんな増田さんなりに、バラエティのブラックジョークに思い切って受けてたったように見えました。

 

本人を目の前にしたら、私だって注意します。あの発言は24時間テレビのメインパーソナリティーとしていかがなものかと。

 

ただ、手越さんが外野からされたように、そのつらさを知っているのに、寄ってたかって叩くのは違うのではないでしょうか。

 

増田さんの意図はわかりません。24時間テレビの代表者としては問題発言だったことは確実だけれど、勝手な憶測で極端に批判するのはやめませんか。

特攻隊長の宿命とはいえ、私は手越さんが過去にさんざんやられていて凄く嫌でした。

 

 

そしてこれは、反対の立場としても言えることで、三人のファンも手越さんの言動の意図が分からないのに、勝手な憶測でマイナスな方に捉えるのはやめませんか。

 

 

 

私がこのブログを書いてしまったのは、現手越君ファンの方で「NEWS」や「増田貴久」という言葉をミュート設定したという旨のツイートをたまたま見たからです。

他にも「別にジャニーズの派手な演出興味ない」「たまたま同じグループだっただけで個人は興味ない」など、二ヵ月前までキャーキャー言ってたとは思えない辛辣なツイートを見かけました。

正直、心えぐられてしまった。

もちろん自分仕様にミュートするのは何の問題もない行為で責めるつもりもないけれど、どこがそんなに嫌だったのだろう。

私はこの方とお話しして誤解を解きたいと思ってしまいました。

その方もきっと「AVALANCHE」について、三人のファンが色々言っているときに、手越君はそういう意図で言ったんじゃない!と腹が立ったはずです。

 

手越さんの本の内容も一部のファンを傷つけるものだった。

増田さんのボランティア発言も一部の手越ファンを傷つけるものだった。

 

本人に傷つける意図はなかったと思いますが、結果としてです。(過程より結果By手越)

ただこれだけのことです。互い様なのに、こっちは悪くないけどあっちは悪いとするのやめませんか?

 

「私はてごちゃんの素直な思いを聞けて嬉しいけど、これは傷つく人もいるよね」

「私はまっすーは宮崎さんにツッコんだだけだと思うけど、手越さんを批判したと思う人もいるよね」

でよくないですか?

 

これができている人が少なくて本当にモヤモヤします。いつからこうなっちゃったんだろう。

私も脱退直後は歪んだ感情があったけど、今はぶれないように心がけています。自分が好きな方に偏るのはある程度仕方ないけど、もう少しお互いを思いやることはできないんだろうか。

 

小山慶一郎の良いところ悪いところ

増田貴久の良いところ悪いところ

加藤シゲアキの良いところ悪いところ

手越祐也の良いところ悪いところ

 

誰のファンでもそれぞれある程度は理解していますよね?

 

失言もあるし失敗もします。今までも自担と同じグループのメンバーとして、おいおいと感じること誰担でもあったでしょう?それを道が分かれた今、知らなかったかのように振舞うのやめませんか。

 

変に敵対するのではなくて、これまでと同じように ダメなところは批判するし良いことは素敵だねと言い合える関係でいたいです、私は。多少は自分の好きな人贔屓にはなってしまうかもしれないけど、極端に相手を悪としたくないです。今からでも、そういう方向性に切り替えていきませんか?

 

私は「反省するところはして次に繋げようね」と言っている手越ファンのおかげで安心したし、「増田、それはアカン」と言ってる増田担に愛を感じた。

 

みんなで幸せでいましょうよ、手越さんも最近そんなこと言ってたよね?誰かを陥れるようなことはもうやめましょう。心を元気に、みんなの幸せを願いましょう。

 

 

 

ただし、

一定数どうしても極端な思考がやめられない人はいる!!!!!

それはどこの界隈にもいるから!!!!!

そういう人たちに心を惑わされないで!!!!!

 

 

以上お気持ち表明終了です。

 

これに共感してくださる手越ファン・NEWSファンの方大好きです。どうかこのしがらみを解消できるように一緒に頑張りましょう。お互いをお互いが否定しあう関係、四人は誰一人望んでないよ…

 

特に手越ファンの方へ、このブログは「本当に伝えたい人には届かない話」だと分かったうえで投稿しているので、念願叶って手越ファン界隈にも届いていたら、反応いただけると救われます。

この内容に何か間違いがあれば、私も自分を正して生きていきたいので、ぜひコメントください。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

 

 

 

※今の心情とは若干異なっておりますが、あくまで脱退当時の手越担10年目の気持ちを知りたい方がいたらこちらまで。

http://ri2i0no03.hatenablog.com/entry/2020/06/26/201336

 

手越祐也ファンでなく、手越担でいたかっただけの話

 

世間は、夢の国と呼ばれるディズニーランドのチケットを求めて躍起になっています。

SNSを見ると私の周囲でも、ゲットできただのできないだの投稿しています。

タイミング良く閉園前に一緒に行った友人たちも、「今度はシーに行こうね」と盛り上がっています。

 

 

そこで私は思うのです。

私にとってのディズニーランドには、もう一生行くことができないのだと。

 

 

 

 

私は携帯の画面を見て血の気が引いた経験が三度あります。

 

一度目は小山慶一郎さんの謹慎。

LINEのオリコンニュースの通知だったな。

友達との下校途中、ふと画面を付けたらパッと文字が目に入って、ラッシュ時のターミナル駅だったからNewDaysの脇に寄って(即冷静な判断偉い)友達に「どうしよう…」って画面見せたの覚えてる。

「とりあえず話そう」って言ってくれて、激混みのマックにドリンクだけで一時間居座った。申し訳程度にポテトも頼んだ。

 

二度目は手越祐也さんの活動自粛。

これについてはあんまり覚えてない。

最近の話なのに、その後があまりにも怒涛過ぎた。

Twitterを数時間前のツイートから遡って直前まで辿り着いたとき、みんなのツイートが急に曇って、それでジャニネ開いた気がする。

 

三度目は言うまでもなく手越祐也さんの退所。

これまたLINEのオリコンニュースの通知だった。

課題をやっていて、ふと画面付けたら通知が…と、一度目と同じ流れ。

ただひとつ違うのは、その血の気が引いた感覚が一日経っても二日経っても、一向に治らなかったことだな。

 

そんなあの日から、どうやら一週間たった模様です。

 

 

 

 

もともと彼の言動には、好きなところと嫌いなところがあった。違う人間だから仕方がないことよね。

でも今回で、嫌だと思ったり心の底から批判したい気持ちの比率のほうが勝ってしまった。好きの比率より勝ってしまった。

 

私は自分の意見をはっきり言いたい人間で、ディスカッションでも発言するし、相手にもよるけど違和感を感じたら指摘します。

そんな私は会見が苦手で、実は彼の会見も全く見ていません。なぜ苦手かというと、上に書いたとおりの人間だからです。

言いたいこといっぱいあるのに、記者じゃないから質問も指摘もできない。しかも、記者の質問が頓珍漢だったりすると、私の中の豊田真由子元議員が出陣してしまいます。(この表現友達にウケてから頻出させてる)

火曜は課題で日付変わるギリギリまで戦っているから、そもそも後から見る予定だったけど、みんなのツイートからどんなものか分かってしまったし、文字起こしも見たけどもうおなか一杯。

ただでさえ連日吐きそうなのに、これ以上詰め込んだら溢れてしまうからやめました。

 

 

私は思ったことを言いたいし、いちいち指摘したい人だから、彼が会見で言った一言一言に突っ込みを入れたいです。

さっきの話と辻褄合ってない部分とか、失言と捉えられる言葉とか、その気持ちからその言動に移すのは間違えではないかとか、色々全部その度に異議ありって挙手したい。

ネット上のNEWS担しかそれをやってくれる人はいなくて、「みんな任せて、私が言ってやるから」って会場にカチコミに行きたかった。

 

でも、そうしたいって思えるのは好きだからだよね、って気づいちゃった。

どうでもいい人だったら、あの人ヤバいから放っておこうってなるものね。

さっき「相手にもよるけど指摘します」って書いた「相手にもよるけど」はそういうことだよね。

好きだから、これ違くない?こうした方が良いよ、って言いたいんだよね。

 

好きだから突っ込みたいのに、このブログの内容を、彼の会見のここがおかしい!とか、この発言の意図はきっと…とかって内容にしなかったのは、何をしようが意味がないから。

そんなことしても、もう元には戻らない。

この愛は無力なんです。

仮に彼が指摘を聞いてくれたとしても、結果に繋がらなければ絶対に満足できません。

よく「いっそのこと、嫌だから辞めたと言ってくれれば納得できるのに」という嘆きを見るけど、私は「やっぱり僕はNEWSにいます」って言ってくれないと納得なんてできやしません。

 

 

文句言ってやりたいよ。3人の気持ちはどうなるんだ。ファンの気持ちはどうなるんだ。他にもここでは書ききれないほど色々暴言が出てくる。誹謗中傷って怒られちゃうくらいにね。

怒られるからやらないんじゃない、やっても意味がないからやないの。

 

STORYをやれていて、ファンの姿を見ていたら未来は変わっていたのかなと思うよ。

彼の両肩をつかんで、正面から目を逸らさずに、精一杯訴えかけられれば、と思うよ。

そんなタラレバ言っても変わりようがないから思いたくないの。

 

とにかく今の現実が変わらないことには、何も意味がないんです。

 

 

 

 

 

NEWSのもはや代表曲とも言えるほど認知度も高まってきた、ファンにもメンバーにも愛されている曲『U R not alone』がありますね。

その歌詞の大きなテーマとして「あなたは一人じゃない」が挙げられますが、これをただ文字の通り「周りに支えてくれる仲間や家族がいるよ」としか解釈してない人を見るとガッカリします。

日本人の国語力・読解力の低下が甚だしいってのを目の当たりにしている気分です。なんてね。

 

 

最後のサビに

 

 

ああどうか 力を貸してくれないか

昨日までの僕よ 共に乗り越えてきたじゃないか

 

 

とあります。

 

 

今年2020年は、計画性のない私が珍しく新年に目標を立ててしまうほど、勝負の年でした。

今年で人生が決まると言っても過言ではないので、頑張らないといけません。

歌詞にもあるように、私もきっとこの二十数年を昨日までの自分と乗り越えてきたから、今までと同じように乗り越えられると思っていました。

 

ただ、そのうちの約10年間、手越担として生きてきました。

人生の半分近くを手越担として過ごしてきたのです。

私にとっての昨日までの私は「手越担の私」です。

今までずっとずっと、私の人生の中にはNEWS手越祐也がいました。

 

 

私は一人じゃない、なぜなら過去の私がいるから。

 

でも、その過去の私は、あくまでも「手越担の私」なんです。

 

私が一人じゃないと思えたのは、昨日までの自分にNEWS手越祐也がいたからです。

 

 

手越担じゃない私なんて、小学校6年生の二学期まで遡らないと出てこないのよ。

そんなのもうとっくの昔に忘れ去ってる。

ただでさえ記憶力ないんだから、手越担やらずに何して生きてたか覚えてないよ。

どこもかしこもNEWS手越祐也でいっぱいだよ。

携帯もパソコンもウォークマンも、レコーダーも編集してないダビングしてない出演番組だらけ、空き部屋は溜まりに溜まった掲載雑誌が足の踏み場なく積みあがってる。

突然排除するにはあまりにも難しいほどの長い時間を、当たり前に過ごしてきた。

私のパーソナリティであり、アイデンティティだよ。

 

今まで手越担としてしか生きてきてないのに、これからどうやって生きればいいんだよ。

 

 

私は自分の人生の中でも、いま最も過酷な日々を過ごしています。

共に乗り越えてきた手越担の私として生きる道を断たれました。

 

 

 

 

会見後の深夜のOPENREC配信は、時間が合ったので見ました。

そこでの言葉で救われた人も大勢いたようだけど、私は救われなかった。

 

配信で「これからファンを絶対幸せにする」ということを、彼は仰っていました。

私は現状、手越祐也ファンではなく、NEWS手越祐也担当です。

手越祐也さんがこれから幸せにしてくれる対象外かもしれないなと思いました。

 

私はまだ、手越祐也に幸せにしてもらう自信がありません。

だからといって、自担がいなくなった3人のNEWSに幸せにしてもらう勇気もありません。

私は4人のNEWSに永遠に幸せにしてほしかった。それだけです。

99%、叶わない。

残りの1%に望みを託し続けることができません。

長い間100%叶うはずと皮肉にも彼の言葉を信じてきたから、突然そんな状況をどうもできません。

 

 

もっと言えば、増田貴久さん 加藤シゲアキさん 小山慶一郎さん のことも幸せにしてほしかった。

手越祐也がNEWS手越祐也として笑ってくれていれば、ただ隣にいてくれれば、きっとこの3人はそれを大きな幸せと感じてくれたはずだよ。

ずっと見てきてそう思うよ。

 

 

 

 

ここまで3500字近くを読んでくれた人へ、書こうかどうか迷ったことを書いちゃいます。

 

正直、つい一昨日まで、私は彼の不幸を願っていました。

これは私が裏切られたからではなく(それも含まないわけじゃないけど)、何よりも残った3人の境遇があまりにも可哀想で悔しくてたまらないからです。

私たちでこんな気持ちなんだから、3人は一体どれほど苦しんでいるだろう。

どうしてあんなに素敵な3人が心を痛めなければいけないの?

こんな酷いことがあってたまるかと思っています。

私の好きな人ランキングは長いこと、1位手越祐也、2位増田貴久 加藤シゲアキ 小山慶一郎、でした。

そんな好きな人たちが傷付けられてるのを許せるわけがないんです。

原因が1位の人だとしても。

でも、今回これを書くにあたって少し考えを変えました。

 

手越祐也さんも幸せになってください。

ただし、3人の次に幸せになってください。

 

世界一幸せな3人を見て、後悔し続けてください。

NEWSに自分がいないことを、悔やんで悔やんで未練を持ち続けてください。

その部分を除いては今以上に幸せになってください。

 

本当は10年ぴったりの日になったら、思い出をつづったブログを上げたかった、私の最後のわがままです。

 

 

 

 

私は4人のNEWSが大好きでした。

NEWSにいる手越祐也が大好きでした。

約10年間、私の多感な10代とやらは、4人のNEWSと、NEWSの手越祐也と共にありました。

 

 

ここまで書いておいて、私の進路は明確に決定していません。

彼が本格的に動き出したら、手越担じゃなくてもいいじゃんと思うかもしれません。

手越担として生きた後を、改めて手越祐也に託そうと思うかもしれません。

むしろそうなったら手越担だった頃がちっぽけに感じるほど、長い年月を共にするかもしれません。

 

 

でも少なくとも今の私は、まだまだ手越祐也ファンでなく、手越担でいたかっただけの話です。

 

 

 

 

4人のNEWSありがとう。

NEWSの手越祐也さんありがとう。

昨日までの私、ありがとう。

 

 

 

 

もう二度と行くことのできない、私にとっての夢の国。

そこで見た景色を、私はいつまでも忘れないでしょう。

 

 

 

24時間テレビと世間のアレコレから考えてみた

喉元に溜まっている混沌の塊を、どうしても吐き出したくて綴ります。
自分がこの渦中から抜け出す為の一つの手段です。
よって、自分自身を整理する事を一番の目的としています。
世間の目に晒す方法をとっているのは、自己顕示欲の表れだと思います。
そのくせ「どうせ誰も見ないだろう」というスタンスで書いています。
ブログ自体不慣れで、言葉選びも苦手です。
「ちょっとマズイかも」と自分ですら思った話も思い切って出しています。
お気に触る箇所があったら申し訳ありません。


この文章を読んで頂くにあたり、勘違いして頂きたくないのが私の立ち位置です。

 

  • 24時間テレビの関係者でもなければ、バリバラの関係者でもありません
  • ただのジャニヲタです
  • 24時間テレビはざっと視聴していますが、バリバラは一切視聴できていません
  • 24時間テレビ擁護・侵害でもなければ、バリバラ擁護・侵害でもありません
  • つまり今回述べるのは私の考えです

 

上記にある通り、私は小学生からジャニヲタ・バリバラを視聴できていない為、その時点で偏りを感じる方もいらっしゃるでしょう。(24時間テレビは自分の目で見たもの・Twitterでの意見、バリバラはTwitterでの意見のみから述べています)
公平に判断するのに越した事はありませんが、この文章はあくまでも「世間を取り巻く2番組の影響から私が思った事」を素直に書いているだけです。
2番組を比較する審査員ではありません。
そこを踏まえて頂きたいです。

 

また、この文章では便宜上「障害者」という単語を「障がい者」と表記します。
近年で最も一般的な表記である(と勝手に判断した)からです。
この事についても後半で述べたいと思います。


申し遅れました。この度はこのブログに足…指を運んで頂き、更に前置きをお読み頂き、本当にありがとうございます。

私と同じような気持ちの方が少しでも「ぁぁ…そうなのよ…」とホッとしたり、アンチの方が「これだからジャニヲタは…」と今後のアンチ活動への活力を得て下されば幸いです。

(ほら、自担も「叩いてる時間俺のことを考えてスカッとして、その人のためになってる訳じゃん。だから『ありがとう言えよ!』って思う☆」って言ってたし!(私は感謝は求めていません笑笑))

 

それでは、やっと本題に入ります。


①ぶっちゃけ今年の24時間テレビどうだった?

さて、まずは今年の24時間テレビのスケジュールを確認してみましょう。
こちらはテレビ雑誌の記事を元に書き出しました。
様々な企画の中で「感動ポルノ」と呼ばれ得る可能性があるものはいくつあるでしょうか。

○義足の女性が槍ヶ岳登山
✖️オンボロ駅をヒロミがリフォーム
△目の不自由なお母さんのためにはじめてのおつかい
佐々木希 車いすバスケ選手の覚悟
△喘息の少年と羽生結弦アイスショー
✖️ドラマ 時代を作った男 阿久悠物語
✖️阿久悠未発表歌詞につんくが曲付け
✖️深夜生放送 嵐にしやがれ
                        しゃべくり007
                        有吉反省会
✖️24時間テレビ今昔物語
✖️櫻井翔 亡き祖父が残した平和への願い
✖️阿久悠名曲秘話
石原さとみが伝える筋電義手
✖️花田優一が80歳ダンサーに靴を贈る
○小山が見守る義足女性の初告白
✖️青学原監督1500m覚悟の激走
✖️アニメ生誕100周年 アニソンメドレー
✖️三浦佑太郎 母山口百恵への告白
✖️黒柳徹子の特別授業 ファッションショー
✖️特別生笑点
✖️櫻井翔 福島の今を伝える
○女芸人と耳の不自由な子供のコンビネーションマリンバ

 

(後日付け足し)

△チョーク工場

 

※敬称略であること、文字数の為若干のタイトルの違いはお許し下さい
※テレビ雑誌を参考にしているので抜けている部分があります

○…障がい者の方が直接何かチャレンジをしているもの
△…障がい者の方と関わりがある内容のもの(エピソード)
✖️…障がい者の方と特に関わりがないもの

 

ぽちぽちと打ってみて正直に思った事を言います。
障がい者企画少ねぇ!!
そう、ここで記載した”障がい”に着目した大きな企画は21個中8つ。
その中でも障がい者の方自身の大きなチャレンジ企画は、登山、義足である事の告白、マリンバだけなんです。
感動ポルノ感動ポルノと揶揄する割には、それに当てはまりそうな企画はこれしかない。
私の独断ですしマラソンなどを踏まえたにしても、今年声を大にして言う人々やそれに流される人々は、24時間テレビの認識がズレているのかもしれないと思いました。

ただ、私は関東に住んでいる為ローカルの壁が無い。
もしかしたら障がい者企画以外はローカルで、障がい者企画の時間帯ばかり本編が放送されているのかもしれません。
それなら印象も変わるでしょう。

 

私は昔の24時間テレビは覚えていません、というか見ていません。
今年で40周年を迎える24時間テレビですが、私が物理的に見られるのは半分にも満たない。
しかも記憶しているかとなるともっと少ない。
よくよく記憶している去年と比較してみます。

ごめんなさい、滅茶苦茶に打つのが面倒になってしまったので(おい)障がい者の方の企画を数えると、

○両足麻痺の男の子登山
吉田沙保里 心臓病の女の子との約束
○片腕の少女の遠泳リレー
○パーフェクトヒューマン
○盲学校聾学校の生徒とよさこい
△ドラマ 盲目のヨシノリ先生
胃がんと戦ったNHKキャスター
○障がいのある女性とイッテQ
△義足のサッカー少年と本田圭佑の約束
△ガンで顔半分を失った男の子
△骨髄移植へ挑む姉へサプライズ
筋ジストロフィーの女の子のお昼寝アート

※こちらはネット記事を参考にしました 抜けがあったらすみません

 

多い!!これ以外にも何かしら病気に関わる話が多い!!(障がいよりも病気がほとんどでした)
昨年のテーマが「愛〜これが私の生きる道〜」だったせいもあり、家族愛を軸に病気と闘う家族を多く取り上げていました。

こう比べてみると、今年はかなり障がい者の方や重い持病のある方の企画が減った事が一目瞭然です。
去年あたりから「明るい24時間テレビにしよう」というスタッフの意向(パーソナリティも口を揃えて言っていた)が反映されているのかもしれません。

ドラマも例年はラストが切なく終わる脚本ばかりでしたが、「盲目のヨシノリ先生」はヨシノリ先生が教師に復帰するお話でした。
そして今年のドラマは障がいを取り扱っていません。
これはかなりの挑戦だったと思います。
ドラマのおかげで、その他でも阿久悠さんを織り交ぜた企画が出来て、全体的に雰囲気が明るくなった気がします。

40周年をきっかけに?バリバラからの批判をきっかけに?、全面に押し出しすぎないようにしているのかもしれません。
長年良しとされてきたものが突然掌返しされても、対処が難しいだろうと思います。
今年を見る限り、少しずつそれに向き合う努力をしている可能性がありますね。

 

果たして今年も「感動ポルノ」と言う人々は24時間テレビを見ているのでしょうか。
いや、見ていなくても勿論構いません。
しかし意見を言うにはある程度現在の実態を認知すべきです。
普段マスコミを「自力で調べないマスゴミ」と批判している人が、同じ事をやっているのに気づいていない。
みんな叩いてるから乗っかる方も少なからずいると思います。
ジャニヲタと同じと思われたくないから(よく24を喜ぶのは偽善者とジャニヲタだけだという声を耳にします)叩いてる人もいると思います。

私はこの文章を書く為の調査として、時間がある時にTwitterで様々なキーワードを検索してチェックしていました。
そこで見た 絶対今年の実態を知らないだろ、と思うツイートの多さ。

そうやって、何でもかんでもネットの世論に流されて叩くのやめませんか。

24時間テレビ自体に悪い印象がついてしまっているのでしょう。
いくら今年が違っても、結局その印象のまま見ずに知らずに批判する人は後を絶ちません。

ご丁寧にほつれた部分を探し回ってダメだと豪語するものです。
今年の様な改革を続けるしか無いと思います。
「最近の24時間テレビ、感動ポルノじゃないらしいよ?」が増えないとこの批判はおさまらない。
長く続く番組だからこその難しさですね。

 

私は声を大にして言います。

生放送のグダつきに目を瞑れば、
今年の24時間テレビは比較的良かった。
これは私がジャニヲタだからではなく、一視聴者として良い企画が多かったと感じたからです。

しかし。

 

24時間テレビ(例年)は「感動ポルノ」か

私がこの文章を書いたきっかけは、この言葉が頭から離れないからです。
昨年頃からこの言葉を使いたがる人が一気に増えて、とても苦しく感じていました。

 

私はジャニヲタであるが故に、平均より24時間テレビ自体や事前番組を視聴していると思います。
その中で毎年「これは…」と思ってしまう企画もいくつか含まれます。
個人的に、身体の不自由な部分を酷使しなければならない企画(足が悪い方が山登り 等)は如何なものかと度々感じます。
とはいえ本人の承諾がなければ出来ない企画であり、事前番組も含めて出演者ご本人が抱負を語っているのです。
それこそ、障がい者だからとやっては駄目と言うのも差別なのかもしれません。
やはり企画の段階で出来るだけ出演者ご本人の意思を尊重して、無理のない程度にご本人の希望を叶える事が最善だと思います。
見ているのは視聴者ですから、こちらが安心して見られるのも重点に置いて欲しいです。
昨年の山登りは天候も優れない中の取り組みでしたから、批判されるのも無理はないと思います。
私も見ていて中継が入る度、あの天候の様にスッキリしなかった事を覚えています。
つまり視聴者を不安な気持ちにさせてしまっているのです。
視聴者が出演に至るまでの完全なやり取りを知る事は出来ません。
不安になる瞬間が垣間見えると、誤魔化しが効かない現代人はすぐ「裏がある」と思ってしまうのです。

 

今回の羽生選手のショー企画。公式Twitterの一言が波紋を広げていますね。

正直「なにやってるんだよ!!」と思いました。

メディアは私たちに出来るだけ正しい言葉で正しい情報を発信しなければならないのに。

しかもよりによって今年のテーマは伝える事に重点を置いています。

せっかく番組内容が改善されても意味がありません。本当に頭悪いとしか言いようがないです。酷すぎます。

 

しかし「素敵だな」「やってよかったな」と思った企画も沢山あります。
世間は悪い所ばかりを取り上げて、全てが悪の様に見せる事が大好きです。
まるで「私は障がい者の味方」といった雰囲気を身に纏い丸ごと批判したがる人もいます。
私はまさにこれが障がい者差別だと感じます。
24時間テレビに出演する事を心から楽しんで喜んでいる方もいるのに、その気持ちを完全無視しているのです。
24時間テレビ=悪」と安易に判断する人は、出演者までもを否定している事に気付いているのでしょうか。

昨年のよさこいパフォーマンス。
踊っている若者のあのキラキラした笑顔が嘘とか、私には到底思えません。
パフォーマンス後に読んだ、一緒に踊ったメンバーへの感謝の手紙も。便箋にはイラストも描かれていて、番組後メンバーは更に直接お手紙を貰ったそうです。嫌々だったら絶対そんな面倒なことしないはず。
今年のマリンバ企画も良かった。
子供達が楽しそうに披露してる姿が素敵でした。
大人はどうか知りませんが、芸能人と一緒にテレビに出られるだけで嬉しい子供は多いと思いますよ。音楽の授業が好きな子達でやったそうですし、大舞台で友達と演奏する事が純粋に楽しそうでした。
本人たちが素直に楽しんでやりきっているのに、それも偽善だと言うのでしょうか。
偽りでしょうか。

「どうせ24時間テレビはヤバイ裏がある」そう思ってる方には、是非昨年お昼寝アート企画に参加した真心ちゃんママ(加藤さくらさん)のブログを見て欲しいです。
皆さんが見たい24時間テレビの裏側を、包み隠さず綴って下さっています。

 

「大キライだった24時間テレビに出演を決めたワケ」
http://ameblo.jp/sakurakato/entry-12187823152.html 

24時間テレビネタ、これで本当に最後(笑)」

http://ameblo.jp/sakurakato/entry-12201326146.html 

24時間テレビについての話題の最初と最後の記事です。この二つの間に経過がいくつかあるので是非読んでみてください。

 

 

24時間テレビが感動ポルノならば

私はもし24時間テレビを感動ポルノの呼ぶのなら、他にも感動ポルノなものは沢山存在すると思っています。
なんだか怒られそうですが言ってしまうと例えば

 

  • 亡くなった芸能人のワイドショーでの取り上げ方
  • 追悼番組
  • またそれに対するネットの反応
  • 高校野球高校サッカーなどで負けたストーリー、泣いてる顔ドアップなどの特集
  • はじめてのおつかい

 

今思いついたのはこれですが、他にも思った事があるものはあると思います。
一番上から。
つい最近で思ったのは若くして亡くなられた女性。闘病生活を綴ったブログが話題となり、多くの人が涙したそうです。私も悲しく切なくなりました。人が亡くなる事は悲しくなります。
ですが、それに対するマスコミでの取り上げ方、Twitterなどでのコメントには疑問を感じました。
「こんなに美人なのに」「こんなに素敵なのに」「こんなに家族思いなのに」もう充分悲しいのに、悲しくさせよう悲しくさせようという雰囲気に耐えられませんでした。

私の母校は近年野球が強くなってきて、県内でそこそこのレベルです。球場に見に行ったこともありますし、テレビでも観戦します。とても熱くなれるし感動もします。
ただ、甲子園の舞台裏と称して試合ではなく選手が泣いている姿ばかりを切り取った特集には疑問に感じます。
試合を見て既に感動してるのに、負けたストーリーを集めてわざわざ泣いてるところをドアップ。勝った選手がいれば負けた選手もいる事はこちらも分かっているのに。

はじめてのおつかいは人生で一度も見た事がありません。
私が小学生くらいの時に見た、持てるはずもない野菜がパンパンに入った袋を泣きながら道に引きずって歩く小さな子供の映像の番宣、幼心に見ない事を決めました。


もし24時間テレビを「感動ポルノ」として叩くなら、これらがもっと叩かれてもいいと私個人としては思います。

  • いつも素敵で病気と必死に闘った方が亡くなった 家族に残した想いに感動=OK!
  • いつも素敵で病気と必死に闘った方が亡くなった 家族に残した想い を24時間テレビで放送=NG
  • 高校球児の青春 戦いぬいて届かなかった優勝旗 球児の悔し涙に感動=OK!
  • 子供がお母さんの為におつかい 小さな体でひたむきに頑張る姿 家で迎えるパパママの涙に感動=OK!
  • 障がい者がダンス 壁にぶつかっても乗り越え 24時間テレビの大舞台 笑顔で舞う姿と嬉し涙に感動=NG

 

すみません、よく分かりません(Siri風)

どちらかが良い悪いではなく、健常者がやる事なら感動しても(させても)OKで障がい者だと(又は24時間テレビだと)NGという考えが分からない。
これはどうやら世間では障がい者差別にはならないらしい。
感動するのは勝手にこっち側(視聴者)がする事ですが、24時間テレビの様に「感動させようとする演出」がダメならこれらの「感動させようとする演出」はダメじゃないのですか。
スポーツ自体はスポーツだから「感動させる演出」では全くないけれど、それを使っていかにも感動させる事に特化した特集番組は「感動ポルノ」には入らないんですか。

 

またバリバラもやたら笑いに持って行こうとしているそうで、それは「笑いポルノ」にはならないのでしょうか。

 

私は24時間テレビ障がい者企画に「感動ポルノ」という言葉が頻繁に使われ始めてからずっと不思議に思っています。

 

24時間テレビが「感動ポルノ」と言われる理由は

やはりチャリティでしょうね。
嘘か真実かは別として、24時間テレビは多額の募金から出演者へのギャラを払っているという話が有名です。
そうなると「偽善者だ」と言われてしまうのです。
私もそれを知った時はショックでした。そんな事を一切考えていなかったので、衝撃でした。

 

だからという訳ではないですが、私は24時間テレビに募金をした事はありません。
自分の担当グループがメインパーソナリティの時でさえしませんでした。
ただ、グッズは買った事があります。番組放送後、何日も経ってからネットで。
クマのキーホルダーです。
ヲタクなので担当グループが出演した記念と、可愛いから買いました。
チャリティじゃなくても絶対にこれは買ってました。

ヲタクだし、クマ可愛いから。つまり欲しいから買った訳です。
Tシャツは買ってません、要らないから。着ないし。

私が何をどうして買ったかって話をしたい訳でなく笑、実際募金がどの程度福祉支援・復興支援に使われているかですよね。
ぶっちゃけ使われてないだろーギャラで消えてるんだろーって思ってました。

 

でも、私は運が良かったです。
地元の老人ホームに、24時間テレビから贈呈された福祉車両があったのです。
普段通らない道だったのですが、久々にそっち方面に外出した際、たまたま視線の先にありました。気付かないで通り過ぎてたら一生知らないままだった。

なんだ!!ちゃんとチャリティしてんじゃん!!

こんな中途半端な田舎にも福祉車両来るなんて。

 

そこで色々考えてみた結果、都合よく考えすぎですが、全く支援されないより、たとえ1円でも支援あるならマシなのではないか。
つまり全くチャリティやらないより、たった少しでも金が行くなら企画としてやっても良いのではないかと思ったのです。

さすがに私も偽善感ありますね、分かってます。
24時間テレビが無かったら近所の老人ホームには福祉車両が一台少なかった(一台増やしたいなら買うしかなかった)。そう考えると、万が一その年のチャリティ分はうちの近所の老人ホームのたった一台だったとしても(だとしたらさすがに笑うけど)、無いよりはあった方がマシ。

これは完全な自分で腑に落ちる為の考えですので、ギャラ疑惑が出てる時点でダメだろうと思われる方はごもっともなので、その辺は押し付けるつもりはありません。
私もそう思いますし、できるだけ沢山支援に使って欲しい。

ただ何度も言いますが、無いよりはマシ。
40年分に換算したらギャラを引っこ抜いてもきっとそこそこいくと思うので、無いよりはマシ。

案外あなたの周りにも実は24時間テレビの募金によってちょっぴり助かった人や施設があるかも…

 

 

⑤障害者か障がい者障碍者

たまに、障害者を障がい者と表記しないと怒る人がいます。
障害者を障がい者と表記しても、障碍者だろと怒る人もいます。
でも元ある言葉的?には障害者です。なんか言い方に問題があったらすみません。
つまり「害」という言葉が良くない、という理由な訳ですね。

たまたまネットで「障害者を障がい者障碍者と書く奴が嫌いだ」というものを見つけました。逆はよくあるけど珍しいな、と思い読んで見ると
「障害者という言葉を悪いもののように扱っている」
「伏字にすれば良いものになると思ってる」
「まるで臭い物に蓋をするみたいだ」
なるほど、と思ってしまいました。

どう思うかは人それぞれです。
私もどれが正しいのかは分かりません。

この文章を書く上でも、どの表記にすれば傷付く人が少ないかとても悩みましたし、障がいという言葉をそもそも使わないで書けないか試行錯誤しました。私の文才では不可能でした。
障がい者の方でも、ここについては意見が分かれると思います。

皆さんはどう感じるでしょうか。

 

 

⑥「障がい者も健常者も中身はただの人間である」と身を以て知った話

随分と長く書いてきましたが、結局私はこの話がしたかったのかもしれません。

私がヲタクである事を含め、一段と私個人の考えに偏りそうなので一応注意喚起。

根本が一人の障がいを持った女性に対する話なので色々ご了承下さい。

 

自分が好きなジャニーズタレントが受け持った企画が、とある女性とのものでした。
事前番組から私はその女性に凄く惹かれて、ずっと「素敵な方だなぁ」「自担はこんな素敵な方と一緒に企画できて良かったなぁ」と思っておりました。
前半自担と彼女の好きな芸人さんを交え、彼女の病気に対する考えだったり人生に対する考えだったりをお話ししていました。私も同じ女性として生まれた為とても勉強になるお話で、更に彼女が好きになりました。
その女性は本当に溌剌とした面白い事が大好きな性格の方で、後半は彼女がやりたいと思っていて実現したお笑い企画。「自分を見て笑って欲しい」と仰っていました。
その言葉通り、私はその企画を視聴して笑いました。凄く面白かったし、全力で笑いに挑む姿にこっちもハッピーな気持ちになりました。
好きな事をやるのって本当に楽しい。彼女の笑顔を見て改めて思いました。みんなが楽しそうで良かった。

ところがです。
企画のVTRから生で武道館に登場したその直後、彼女は某裏番組に出演したのです。
そうバリバラです。
私は彼女の企画の後も24時間テレビを見ていましたし、裏番組がある事自体なんとなくしか知りませんでした。この文章の一番最初にも書きましたが、私はバリバラを視聴していません。
彼女が出演して24時間テレビの批判をしたというのを小耳に挟んだ後も、録画されたバリバラ(何故か親がしていた)を見る事は出来ませんでした。

私はジャニヲタです。

だから、いや、ジャニヲタじゃなくても、自分の好きな人を傷付ける行為をする人はどうしても好きになれません。世の中色々と嫌な人間はいるけど、はっきりと言えるのは自分の大切な人を傷付ける可能性がある人は絶対に許せない。

彼女を否定したい訳でも、バリバラという番組を批判したいのでもありません。
様々な意見があって当たり前です。共感できるポイント、勉強になるお話はあったと思いますし。

ただ、自らやりたいと言って実現した企画に笑顔で参加していたのに、実現に一緒に取り組んだ人々をそう簡単に悪く言えるのが分からなくて。悲しくて。
笑顔で楽しんでいた自担と、彼女に好きだと言われて喜んでいた芸人さんと、きっと万全の注意を払って企画を進行したスタッフを、傷付ける行為だとしか思えなくて。辛くて。

 

そこで改めて知りました。

障がい者だって中身は同じ人間」

彼女が言っていた言葉。すみませんがニュアンスです。記憶が曖昧です。でもこの様な言葉を仰っていたのは間違いありません。

私たち健常者で犯罪者がいる様に、障がい者にも悪い人(良い言い方が見つかりません)はいる。私たちが「あいつウザい」など思う様に、障がい者でも思う。

たったそれだけの事です。

女が怖いのは健常者でも障がい者でも同じでした(ちょっと違うか)。
自担を傷付ける(勿論彼はこれについてはその後も触れていません よって彼が傷付いているかは分かりません 私の問題です)のは健常者でも障がい者でも同じでした。笑顔の裏があるのは健常者でも障がい者でも同じでした。

 

私はある意味、とても重要な事を学びました。

 

でも、私は、彼女が企画に参加したあの時の笑顔を嘘だと思いたくありません。
どうしても、あの笑顔と楽しそうな笑い声を信じたい私は偽善者なのでしょうか。

 

 

⑦最後に

ここまで読んで下さった方、ありがとうございました。
思いっきり吐き出したおかげで、なんとか心をスッキリさせられそうです。

 

今年のバリバラで「この番組が無くなるのが夢」という言葉があったそうです。

偉そうに語っている私も、街で見かけるとやっぱり気にして見てしまいます。その度に自分でハッとして姿勢を正すものです。

確かに、障がい者の方が自然に前に出られるような世の中を目指していければ良いのかなと思いました。企画でやりたい事をサポートするのではなくて、普段からやりたいと思った事をできるような世界になってほしいですね。

 

 改めて私の考えをまとめますと、

  • 今年の24時間テレビの企画は良いものが多かった
  • むやみやたらに批判する人は本気で考えている訳じゃないから気にしない
  • 素直に楽しんで参加している人を感動ポルノと揶揄する方が差別では
  • 募金に関しては色々言われても仕方ない
  • でもしないよりはマシ
  • バリバラも下手すりゃ「笑いポルノ」
  • 人間は人間
  • 様々な意見があるのは結構
  • 要は差別を語ったらキリがない

です。

 

障がい者でも何でも人間ですから、それぞれ考えは違います。
それをいちいち自分が正しいと過剰にアピールするのは誰であろうと迷惑です。十人十色ですから誰もが納得する世界を作る事はできません。
でも、少しでも考えるきっかけを与えようとしているのは、24時間テレビもバリバラも同じだと思っています。
こうやって議論する所から始めるしかないですね。


これで最後になります。
できるだけ読む方の気分を悪くさせない言葉遣いを徹底したつもりですが、不備があったら申し訳ありません。
本当はこういう場所で障がい者とか健常者とかって言葉も使いたくないのですが、都合上使わせて頂きました。ご了承下さい。
24時間テレビの細かい企画など割愛させて頂いている部分もございます。
賛否両論は大いに構いませんが、ただの誹謗中傷はお控え下さい(私も控える努力をしましたので)。

 

この度は本当に本当に、お付き合いありがとうございました。